昭和五十年十月二十八日 御理解 第八十九節 「この方の道は傘一本で開くことが出来る」
実はその此の方の道は傘一本で開く事が出来ると、いと簡単に御理解下さってあるが、いと簡単な事程実を言うたら難しいと言う事が言えます。
傘一本で道が開ける程しの傘一本なのですから、教祖様でも二代金光四神様でも、三代金光様でも教えておられる事は同じ様な事である事、私は無学の者でございますから人を助けると言う事は仲仲の事でございましょう、どう言う信心にならして頂いたらよろしゅうございましょうかと、お伺い申し上げた時に金光様はハイ親切一つあれば人が助かりますと、だから人が助かる程しのね、いと簡単、親切がない人ちゃまず無かろうと思います、やはりそれぞれ親切心を持っておるのです、けれども実際はら助からないと言うて金光様が嘘を仰っておるとは思われない様にです、人が助かる程しの親切であり道が開ける程しの傘一本であり、誠一つで足ると仰る、誠そのものが所謂問題であります、簡単に教えておられます、その簡単なもの程御教えへの、実を言うたら難しい、これは極めに極めた言葉でございます。
真心とは、真心とはと言うなら真心を愈々追求して、もうこれ以上は自分は真心は無かろうと言う程しに、なら真心を尽くして見てそれでも尚且つ、足りんのが真心だと教えられると愈々わからなくなる程しに、ありますのが真心であります様にこれは親切と言うても、これは傘一本と言われる傘一本とはどう言う事であろうかと。
まあ此処では傘一本と言う事を安心と言う風にですね、だからこれは安心のおかげ一つで人が助かるのであり道が開けるのである、だから本当に安心どの様な場合でも安心しておれると言う程しの信心とはやはり大変な稽古に稽古を積んで行かなければ出来る事ではないと思います。
昨夜丁度十二時頃出て参りましたら丁度久留米の共励会から帰って秋永先生と長瀬勝国君とそれから中村そこの撤美君と三人でいろいろ信心話をしているところでございました、そして話しよりましたら栄四郎が入って来ましたから、どうしてこんなにおそうと言いましたら、実はこうこうじゃと言うてからまあ言うなら大変難儀な問題、とにかく不安でたまらない問題言うなら心配でたまらないと言った問題を、あるご信者さんから電話が掛かって来たのでその事を実は御祈念をしておった、と言う訳です、奉仕着のまま入って来ました、その時に本当に私がまあいきなり裏から、出て来たと言う事で御座いますけれども、こう言う難儀な問題をお取り次ぎさして貰わなければならんのだから、やっぱり出てこなければならなかったなあと実は思いました。
でその事を神様にまあお願いさせて頂きましたが、所謂傘一本で開ける道、言うならば安心、いうならば私が頂いておる安心の心でその問題は解決する、その事からはおかげに導かれて行くと言う事でございます、その中ででした皆さんが今本当に若い方達が一生懸命に信心を求めておられると言う事は素晴らしいと思いました、三人で一生懸命はなしておられる時に私が参りましたらもう早速、勝国君がこう言う質問を致します、先生が素直、素直といわれるが、素直とはどう言う事ですかとこう言う、そりゃ素直ちゃ素直たいと言う訳にはいかんのです。
何故って普通一般で言う素直さと信心で言う素直さとは違うからです、あああっちは仲仲生まれつき素直だと言う人があります、生まれつき強情な人があります、けどその強情とか素直とか新人で愈々研きに研き、鍛えられに鍛えられてから生まれて来る素直さなのですから違うんです、信心で言う素直さと言うのは素直で雲の上まで登る道ありと言われる程しの言うならば素直一つで生き神様にもなれると言うのです、ね。ですから普通で言う、素直でない事がわかります、信心で言うところの素直さ、ほうら仲仲難しい質問がねえと、けれども私は信心で言う素直さとはどう言う事かと言うと、大きな心豊かな心になる事だよと言う事、素直と言うのはと言う風に説明しましたけれども、まあそれですんだと言う事ではない、素直と言うのはもっともっといろいろな、もっと深い意味あいをもっておるものであります、今日ここで八十九節で頂きます様に、傘一本で開かれる道とか、誠一つで助かるとか、親切一つあれば人が助かるとか、と言われるいと簡単な、なら素直にて雲の上までも登る道があると言う事は、素直心で生き神にもなれると言う程しの事なのですからね、普通素直でない事がわかるでしょう。
そこでなら本気で豊かになる、本気で豊かに大きな心にならせて頂く事を祈り願わせて頂く、だから自分が本当に素直にならせて貰おうと思えば、本当にその素直になると言う事の言わば研討をさして貰う、でその事に取り組んで進んで行く内に、愈々わからない素直さがわかってくる、愈々その素直さと言うものを極めに極めて行くところにです、成程素直心の一つにて雲の上まで成程昇る道があるんだなと言うことがわかる。
なら親先生がこう言うて頂いたから、安心したと幾らなんぎな問題であっても安心したと言う事になります、また安心も致します、それが確かにおかげにもつながります、けれどももう次ぎの問題が起こって来たらもう不安である、心配である、そこでお取り次ぎを頂き続けさしてもろうた上にも続けて、その安心を愈々求めて行く事が私は傘一本で開ける程しの道と言うのは、そう言う極めに極めた私は信心だと思います。
それで最後に申した事でしたけれども、まあ先生がああ言われるから、ああ言われる信心を一つ身につけようと言う気になる事だよ、まあとにかく朝参りでも一生懸命さして頂く事だと言う風になります。
もうこれですんだと言う事ではない、もうこれで良いと言うことはーーー、
もうそれは限りなく明るいものになって行く、同じ親切でも同じ真心でも、余りにも、まあ簡単に教えてございますから、それを簡単に受けますと、教祖様は嘘仰ったと言う事になります、この方の道は傘一本で開ける道だからと、いと簡単に言うておられるから、だからそんなわけにはいかんと言うものになってしまう。教えと言うものは本当に傘一本で開けるかどうかと言う事です、確かめた上にも確かめて行って、成程傘一本あれば私どもの中に信心により天地の親神様のお働きを信じ、親神様の心を心としての信心修行が出来て行く内に、生まれて来るのが安心である、どう言う事柄の中にでもお礼がいえれると言う、喜びである、そう言う喜びにおかげが頂けれる。
此の方の道は喜びに喜んで開けた道だから喜びには苦労はさせんと仰る様な、なら喜びでもそうである。そんならその喜びと言うものは皆さんが実感した、一寸貰っただけでも嬉しい本当に嬉しいと言う事もあるのですから、その喜ばしい事では苦労させんと仰るような、おかげにはなって来ない、その喜びを追求して行くところに成程喜び一つでおかげをうけられると言う事が、わかると言うところまで極めて行かねばいかん、いと簡単に教えておられるみ教え程実を言うたら大変奥の深い広い又は、追求しても追求しても限りがない程に言うならば難しいと言う事をわからねばいけません。
傘一本でひらける、喜び一つで助かる、苦労せんで済む程しのおかげ、親切一つあれば人が助かります、と金光様が言われておる、誠一つで助かるとも言われますがその誠にしろ喜びにしろ安心にしろ親切にしろ、それが言わば助かる程しのねまたは素直心一つにして、神様になれる程しの言わば素直さとはどう言う様な事か、それを質問されてとても一遍にとても説明出来る事ではないのですけれども、その素直心一つでもそれが例えば勝国君がそれに取り組んでそれを頂いて行く事でしょう。
そこでしっかりなら親先生が朝参りしろと言われたから本気で、朝参りをさせて頂いて若い時に信心の基礎を作っておくと言う事に依って、私が素直と言う事が只豊かな大きな心になることだと、そこで仲仲豊かに大きな心で受けられないものも、その受ける稽古を本気で指せて頂きながらです、成程これが馬鹿と阿呆になると言う事だと、又は素直になると言う事も分かってくるでしょうし、それで自分の心がなる程こう言う心でゆけば、雲の上まで登る道が開けて来るに違いないと、確信が持てる様なおかげにもなって来るのです、いわば読みすごし言うなら聞きすごしをしてはいけません。
御理解を只読んだだけでは只この方の道は傘一本で開く事が出来ると、覚えただけではそれはいけません、道が開けると言う程しの傘一本とはどう言う事か、それをやはり追求して行くことが信心です、もう追求また追求、それが信心であります、だから限りがありません、だから限りないおかげにもまた繋がる事もまた出来るわけですね。どうぞ。